「響 談」とは?

確たる資料は残っておらず詳細は不明だが、響談は織田信長が尾張時代に使っていた間諜(忍者)だったとされている。

 

響談の意味は、敵方の人物を味方に引き入れるために酒や肴で相手をもてなすこと。

つまり響応して間諜(忍者=スパイ)になってもらうために、秘密を談ずる者といえばいいだろう。

 

二度に亘る伊賀攻めに見られるように、信長は忍者を敵視したため、忍びを利用しなかったと思われがちだが、それはあまりに表面的な理解であると言えよう。

戦国大名たる者は有能であればあるだけ、情報の価値を知り抜き、重要視したはずであり信長も何らかの手段を用い情報収集活動をしていたに違いなく、当然、間諜(忍者)を使っていたはずである。

なお、信長が召抱えた間諜集団は「ヒキ猿」と称していたという説もある。

 

第一次伊賀の乱 天正7年(1579年)

第二次天正伊賀の乱  天正9年(1581年) 

「響談忍軍」とは?

愛知領は犬山の国下本町に

平成23年(2011年)11月某日に「犬山忍術道場」を開いた忍者達の頭目「鬼頭丹波守秀喜」が犬山の国は織田信長公の縁、深い土地柄故に己の忍軍に「響談忍軍」と名付けたものである。  

犬山忍術道場とは?

犬山下本町に誕生した手裏剣打ちと吹き矢を修練出来る道場!!

手裏剣打ち修行10発で350両

営業時間、毎週、土曜、日曜、午前11時から16時まで。  

 

→の看板が目印